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1 刑法の目的
刑法は、法益を保護することを目的としています(法益保護主義)。
刑法の目的は社会倫理ないし社会秩序の維持にあるとする立場もありますが、法益を保護すれば社会は安定し、人々は安心・安全な生活を送ることができるので、社会倫理ないし社会秩序の維持は、法益を保護した結果として生じる副次的な効果ということができます(高橋則夫『刑法総論』第4版、成文堂、2018年、p.12参照)。
2 刑法の謙抑制(謙抑主義)
刑法による法益の保護は、法益を侵害する行為を行った場合には刑罰という過酷な制裁を科することを予告し、人を法益侵害行為から遠ざけることによってなされますが、あらゆる法益が刑法による保護の対象となるわけではありません(刑法の断片性)。
つまり、刑法による保護の対象となる法益は、それが侵害された場合に、刑罰という過酷な制裁を科すことが相当であり、また、刑罰によらなければ十分に保護することができないといえるようなものでなければならないものとされています(刑法の補充性)。
例えば、AB間においてAが所有する絵画をBに100万円で売却するという契約を代金後払いで締結し、AがBに当該絵画を引き渡したけれども、後になって代金を支払うのが惜しくなったBが支払期日になっても100万円をAに支払わなかったという場合について考えてみます。
この場合、AはBの債務不履行によって所有する絵画を失った一方で、その対価を得られないという財産的損害を被ることになりますが、Aが被った損害は、Bにそれに相当する賠償責任を負わせるという民事的方法によって回復することができます(民法415条1項)。
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
つまり、Aが100万円を得ることができなかったという損害は、100万円の損害賠償金を得ることによって埋め合わせることができます。
したがって、Bの行為をAの財産という法益を侵害するものとして刑罰の対象とする必要はなく、実際に、現行法上も犯罪とはされていません。
このように、「刑法はあらゆる違法行為を対象とすべきでなく、また、刑罰は必要やむをえない場合においてのみ適用されるべきであるとする原則」(大谷實『刑法講義総論』新版第5版、成文堂、2019年、p.9)を、刑法の謙抑制ないし謙抑主義といいます。
3 参考文献
- 井田良『講義刑法学・総論』第2版、有斐閣、2018年
- 大谷實『刑法講義総論』新版第5版、成文堂、2019年
- 高橋則夫『刑法総論』第4版、成文堂、2018年
- 西田典之著、橋爪隆補訂『刑法総論』第3版、弘文堂、2019年
- 山口厚『刑法総論』第3版、有斐閣、2016年