東京高判昭28.2.21(インチキブンヤ事件)  昭和27年(う)第2626号:名誉毀損被告事件 高刑集6巻4号367頁

judgment 刑法判例
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要 約

刑法230条の2の真実性の証明について、裁判所が諸般の証拠を取調べ、真相の究明に努力したにもかかわらず、事実の真否が確定されなかったときは、被告人は不利益な判断を受けるという意味において、被告人は事実の証明に関し挙証責任を負うものということができる。

主 文

本件各控訴を棄却する。

理 由

本件控訴の趣意は東京地方検察庁検事正代理検事田中万一名義の控訴趣意書と題する書面、及び弁護人神道寛次、同布施辰治、同青柳盛雄提出の各控訴趣意書に記載されたとおりであるかち、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

弁護人神道寛次の控訴趣意第1点について

告訴とは犯罪の被害者その他一定の者から捜査機関に対して犯罪事実を申告して犯人の訴追を求める意思表示であって、それは特定の犯罪事実を対象として()されるものであり、特定の犯人を対象として為されるものではない。この点において、告訴は、検察官が指定した被告人以外の者にその効力を及ぼさない公訴提起とは全くその(おもむき)を異にするのである。従って捜査機関に対し一定の犯罪事実を申告し、犯人の訴追を求める意思表示があったものと認められる限り、ここに適法()つ有効な告訴があったものと認められるのであってとの場合において必ずしも被告訴人の氏名を指定する必要はなく、又当該犯罪事実に関係のない者を誤って被告訴人として表示し、又は「告訴」と表示すべきところを誤って「告発」と表示したとしてもその為にその効力に影響を及ぼすものではない。そして親告罪についてこのような告訴があった場合には、検察官は捜査の結果真実の犯人と認められるものを被告人と指定して適法に公訴を提起しうるのである。親告罪の告訴が(じょ)(じょう)のような性質を有するものであることは、親告罪についてその共犯の1人又は数人に対してなされた告訴又はその取消は、他の共犯に対してもその効力を生ずることを定めた刑事訴訟法第238条※1の規定に徴するもこれを(うかが)うことができる。原審は叙上と同一の見解の下に本件についてはいずれも適法且つ有効な告訴があったものと認めたものであり、その法令の解釈並びに適用は正当である。所論はこれと(ことな)る見解に立脚して原判決には法令の解釈適用を誤った違法があると主張するものであって、採用するに足りない。(ゆえ)に論旨は理由がない。

同第3点について

原判決理由罪となるべき事実第3節第1の⑴乃至(ないし)⑶において原審が被告人Aの行為として判示するところは、これをその挙示する証拠と対象するときは、判示第2節において認定したような職責を有する同被告人が、判示のような、B、C及びDの名誉を()損すべき記事を判示各雑誌に掲載することを決定し右各記事を掲載した判示各雑誌をE社並びにその販売様構を通じて発行させその頃東京都内その他に発売頒布させて右B(ほか)二名の名誉を毀損したとの趣旨であって、右事実は挙示の証拠によって認めうる第2ところであり、記録に徴するも事実誤認の違法があるとは認められない。(けだ)し所論のように右雑誌の発売頒布は被告人A以外の者の職責とするところであり、又事実上被告人Aが自ら直接これを発売又は頒布したものではないとしても、原判示のような職制機構のもとに判示雑誌が編集発行され、発売頒布されている以上、同被告人がその職責に(もとづ)き右記事を判示雑誌に掲載することを決定したときは、()後右記事は正規の過程を経て雑誌として発売頒布されるものであるから、右発売頒布は同被告人としても当然予期しているところであり、従って右記事を掲載した雑誌の発売頒布により他人の名誉を毀損したときは、編集責任者たる同被告人においても、その結果につき認識があったものとして、その責に任ずべきものと解すベきことは当然だからである。原判決は必ずしも同被告人が自ら判示各雑誌を発売頒布したものと認めた趣旨でないことは叙上のとおりであるから、原判決には所論のように証拠によらずして事実を認定し又は事実を誤認した違法はない。

又判示各記事がそれぞれB外2名の名誉を毀損すべきものであることは右記事自体に徴し明白であり、又同被告人に、右各記事がB等の名誉を毀損するものであることの認識があったことは挙示の証拠によってこれを認めうるところである。右記事中執筆者又は掲載者の個人的主観が含まれていたかどうかは犯罪の成否に影響を及ぼすものではない。又記録に徴するも右各記事が真実であることの証明があったものとは認められない。要するに以上の点においても原判決には所論のような事実誤認の違法はないから論旨は理由がない。

第9点について

いわゆる名誉毀損罪における事実証明の要件及び効果について定めた刑法第230条の2※2の規定は、基本的人権を尊重し、個人の尊厳を維持高揚することを主眼とする新憲法の下における個人の名誉の保護と、一方において、同意法の保障する思想良心の自由、表現の自由との調和点をなすものといいうるのであって、同条所定の要件の解釈並びにその要件を具備すると認むべきや否やの認定にあたっては、常にこの点に留意し、一方において言論の自由、批判の自由を強調するの余り、他面においてこれらの表現により不当に個人の名誉が侵害されることのないよう、適正な解釈運用に努むべきものである。従って、同条第1項にいわゆる「公共ノ利害ニ関スル事実ニ係ル」場合の意義、並びにこれに該当するものと認むべきか否かは、当該摘示事実の具体的内容、当該事実の公表がなされた相手方の範囲の広狭、その表現の方法等、右表現自体に関する諸般の事情を(しん)(しゃく)すると共に、一方において右表現により毀損され、又は毀損さるべき人の名誉の侵害の程度をも比較考慮した上、以上の諸事情を参酌するもなお且、当該事実を摘示公表することが公益上必要又は有益と認められるか否かによりこれを決定すべきものと解するを相当とする。

原判決がその理由、訴訟関係人の主張に対する判断、第1の⑴に引用する同判決理由、罪となるべき事実第3節の⑴に記載された記事は「インチキブンヤの話F事件に暗躍した新聞記者」と題するものであって、F事件につき各新聞社の幹部が相当のもみ消し料を(もら)っているらしいが、GのB社会部長(G新聞社社会部長Bの趣旨)もくさいと社内ではにらまれていると()う旨の記載があるのである。よって右記事が公共の利害に関するものと認められるか否かにつき判断すると、なる(ほど)新聞の発行は一面において公共性を有し、いわゆる大新聞と称せられるものの言説行動が社会上重大な影響力をもつものであり、その新聞記者が社会的重大事件に関しもみ消し料を貰ってその執筆活動を左右にすると云うような事はこれを抽象的に云えば公共の利害に関するものと云えないではないが、本件記事の内容は上記のようなものであって、既にその表題において不当な侮辱的言辞を用いているばかりでなく、右記事の内容も不確実な漠然たる世間の(うわさ)、風聞をそのまま伝えているものであり、このような記事をこのような表現方法を(もっ)て公表することは世人への警告、犯罪その他の非行の予防鎮圧等社会を()(えき)する面において左程効果があるとは認められず、反面においてかかる侮辱的表現により漠然たる風聞を風聞として公表されることによって前記記事に指摘された人が被る(おそれ)ある名誉の侵害の程度はかなり顕著なものがあると認められるので、とのような事情を総合考察するときは判示の(ごと)き記事を摘示公表することは公益上必要又は有益とは認めがたいものというべく、従って、これを公共の利害に関する事実に係る場合には該当しないものと解するのが相当である。従って原審が前記訴訟関係人の主張に対する判断第1の⑴に判示したように判断したことは相当であって、論旨は理由がないといわなければならない。

弁護人布施辰治の控訴趣意第3点ないし第7点について

右論旨は要するに原審は刑法第230条の2の解釈適用を誤った違法があるというのである。

(イ) 第4点について

刑法第230条の2にいわゆる公共の利害に関する事実と認むべきか否かの判断は、当該記事の内容その発表の範囲、その表現の方法等諸般の事情を斟酌し、又一方においてこれにより毀損される虞ある人の名誉の侵害の程度をも比較考量した上右事実を摘示公表することが公益上必要又は有益と認められるか否かによってこれを決定すべきものであることは、前示神道弁護人の控訴趣意第9点に対する判断において判示したとおりであって、所論の各事実において公表された事実は、その記事の内容発表の範囲並びにその表現の方法等諸般の事情を斟酌し又これにより侵害さるべき各被害者の名誉の侵害の程度とを比較考量するときは、右各記事を摘示公表することが公益上必要又は有益であると認められる場合には該当しない。従って原審がこれらの記事をいずれも公共の利害に関するものと認めなかったことは相当である。「H」発行の目的が原判示認定のとおりであること、又は所論の各記事が私怨又は悪感情に出たものかどうかは、被告人等の本件所為が公共の利害に関するものと認むべきか否かの判断を左右するものではない。要するに原判決には所論のような違法はないから論旨は理由がない。

(ハ) 第6点について

刑法第230条の2によれば、刑法第230条第1項※3の行為が公共の利害に関するものであり且専ら公益を図る目的に出たものと認められたときは裁判所は当該事実の真否の探究に入らなければならないのであって、この場合においては、裁判所は一般原則に従いその真否の(とり)調(しらべ)をなすべきである。そしてかかる取調の後その事実が真実であったことが積極的に立証された場合に初めて被告人に対して無罪の言渡がなされるのであって、取調の結果右事実が虚構又は不存在であることが認められた場合は(もち)(ろん)、真偽いずれとも決定が得られないときは真実の証明はなかったものとして、被告人は不利益な判断を受けるものである。かくして裁判所がこの点について諸般の証拠を取調べ、真相の究明に努力したにも(かか)わらず、事実の真否が確定されなかったときは、被告人は不利益な判断を受けるという意味において被告人は事実の証明に関し挙証責任を負うものと云うを妨げない。所論は叙上の見解と異る独自の見解であって採用し難い。原判決が真実性の挙証責任は被告人にあるとし、被告人は事実の真実性について立証を尽していないから不利益を負担しなければならないと説示したのは、裁判所が事実の真否を取り調べたがその取調の結果によれば、各記事に記載された事実が真実であったことは認められず(かえ)ってそれが存在しなかったものと認められ、被告人の挙証によっては右認定を覆すべき事実はこれを認めることができないから、事実の証明がなかったと云う不利益を被告人が負担しなければならないとの趣旨であるから、叙上説示したところと矛盾するものではなく、また原判決が事実の証明がなかったものと認めたことも記録に徴し(なん)()不当とは認められないから論旨はすベて理由がない。

弁護士青柳盛雄の控訴趣意第2点について

刑法第230条第1項所定の犯罪は人の名誉を害する虞あることを認識しながら人の名誉を害する虞ある事実を公表することによって成立し、所論のように同罪が成立するためには意識的に虚偽の真実を作りあげてこれを発表すること、又は事実の真偽を良心的に調査しないであえてこれを公表することを要するものではない。ただ()る事実を公表したものが、その事実を真実なりと信じ、且かく信ずるにつき過失がなかったものと認められる場合に限り故意の責任を阻却される場合があるに過ぎないのである。しかして原判決が本件所為につき被告人等が判示事実の真実性を信ずるにつき相当の理由を有していたとは認められないと判示したことが相当であってこの点につき何等違法がないことは先に神道弁護人の控訴趣意第13点に対する判断中に説示したとおりである。従って論旨はすベて理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)


※1 刑訴法238条
1項
 親告罪について共犯の1人又は数人に対してした告訴又はその取消は、他の共犯に対しても、その効力を生ずる。
2項
 前項の規定は、告発又は請求を待って受理すべき事件についての告発若しくは請求又はその取消についてこれを準用する。
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※2 刑法230条の2(平成7年改正前)
1項
 前条第1項の行為公共の利害に関する事実に係り其目的専ら公益を図るに出でたるものと認むるときは事実の真否を判断し真実なることの証明ありたるときは之を罰せず
2項
 前項の規定の適用に(つい)ては(いま)だ公訴の提起せられざる人の犯罪行為に関する事実は之を公共の利害に関する事実と()()
3項
 前条第1項の行為公務員又は公選に()る公務員の候補者に関する事実に係るときは事実の真否を判断し真実なることの証明ありたるときは之を罰せず
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※3 刑法230条1項(平成3年改正前)
 公然事実を摘示し人の名誉を毀損したる者は其事実の有無を問わず3年以下の懲役(もし)くは禁錮又は1,000円以下の罰金に処す
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